20080229

あんこ ひよ子 世界一おいしいチョコレートケーキ


研修を始めてまもなく、僕はリスボンで誕生日を迎えた。ポルトガルに限ったことではないけれど、誕生日は日本のそれよりもずっと大事にされている。男同士はこれからの一年の友情を確かめ合うような堅い握手を交わし、男女は両頬に優しくキスをする。事務所では誕生日を迎えると自分でケーキなどを持っていって皆に振舞うことになっている。それは研修生も例外ではない。所員の誕生日はパソコンの共有カレンダーで確認することができるから、誕生日を忘れられたりすることもない。
持参するケーキやシャンパンの選択は重要だ。旅行先で土産を買う時と同種のセンスを問われる。ましてや僕の場合、日本人というだけでハードルが上がる。彼らは勝手に僕が日本の和菓子を空輸することを決め付けているようだった。事前情報によると、あんこはあまり評判が良くないらしい。僕は散々迷った挙句、東京の菓子として定着している福岡の菓子「ひよ子」を30羽ほど日本から呼び寄せ、皆がポルトガル語のハッピーバースデーを歌い終わるのと同時に、パーティー会場と呼ぶには少し華やかさの足りないミーティングルームに解き放った。エスプレッソの代わりに玄米茶、ほうじ茶、麦茶を飲みながら、彼らは美味いのか不味いのか判断しかねるといった表情でひよ子をかじっていた。

ちなみに事務所での一番人気は「世界一おいしいチョコレートケーキ」という名前のチョコレートケーキで、最近では3人続けて同じケーキを持ってきたりするものだから、これを持ってくると「想像力不足だ」と酷評されることになる。食べると喉が焼ける程甘い。

20080227

ボウサの集合住宅 重心 ジェントルマン 


アルヴァロ・シザの建築についてはいずれしっかり考察をまとめるとして、今回は「ボウサの集合住宅」について。

先日ポルトに寄った際に、実際にボウサに住んでいるシザ事務所のイトウさんのご厚意で(1)一晩泊めて頂いた。おかげで思わぬタイミングで貴重な内部空間を体験することができた。シザと建築、ポルトと建築、20世紀ポルトガルの政治と社会と建築。これら全ての関わりを知る上で外せない作品だ。
シザが手がけた幾つかの低所得者の為の集合住宅の中でも初期の頃の作品で、かつ最新の作品の一つでもある。段階的に計画が進められたといえば聞こえは良いのだけれど、革命期(20世紀のポルトガルは、この革命抜きには語れない)に不法侵入者によって占拠されてしまった為に計画を中断せざるを得なかったというのが実情だ。
敷地内には4つの細長い棟が平行して配置されており、それぞれの棟の間は芝庭になっている。2層メゾネット形式で、傾斜した地形に合わせて巧みに動線が処理されている。手すりなどの要素には赤やグレー、ベージュといった色が使われているのだが、棟が変わる毎に色の使われ方も変わっている。それが繰り返される白いボリュームに重心の変化をもたらしている。
内部空間は至ってシンプルで機能的に収まっている。でもやはり玄関の扉や窓に取り付けられた鎧戸などの開口部の納まり、そして目地や見え掛かりの線の整理の仕方、全てがシザ事務所の仕事を確信させる。これについてもいずれ言葉に乗せなくては。
シザはボウサを設計するに当たって革命時代のポルトの荘園つき邸宅の構成を参照している。通りに面して地主の住む建物があり、その後ろに使用人や出稼ぎ人を住まわせる細長い住居が配されているという構成。ボウサでは、彼らがパビリオンと呼ぶ独立した建築を頭として、集合住宅棟の長屋ような体が後ろにくっついている。歴史的な要素をデザインコードとして用いる手法は、シザの建築では意外と見られるものだ。

最近ポルトガル語の個人授業を受け初めて、まだまだ当分はポルトガルから離れる様子のないジェントルなイトウさんの部屋の冷蔵庫には、スウェーデン語会話の一文一訳が貼ってあった。

(1)ご厚意 :ポルトガルには建築関係の日本人同士の緊密なネットワークが存在する。研修生や留学生を含めほぼ皆自然と(無論先駆者の方々が良好な循環を作ってくれたおかげで)顔見知りになる。このことが改めてポルトガルの狭さを実感させるのも事実。少なくともスペインにはないらしい。

20080226

アーモンドの花 転職 暇つぶし


ポルトガルの春の風物詩と呼ばれるものの一つに、アーモンドの花がある。一見すると桜のような木で、春先のわずかな期間に、南はアルガルヴェ地方全体、北はドウロ河沿いの渓谷に絨毯のように沢山の白い花を咲かせる。「その昔ポルトガルに政略結婚で嫁がされた北欧のお姫様が、祖国の雪を恋しがったため、代わりにこの花を植えさせたのが始まり」という言い伝えが残っている。
ポルトガル北部にある町フォシュコアは正にそのアーモンドの花の名所として知られる。近年町からジープを走らせること30分程の奥地にて、先史時代に描かれた壁画が発見されてからは、シーズンを問わずヨーロッパ中からこの小さな町に観光客が訪れるようになった。
今年のポルトガルは例年よりも幾分か寒かったらしい。満開にはまだ早いとの事前情報を得ていたけれど、八分咲くらいを期待して僕は花見を決行した。
ポルトから内陸へ電車で3時間半ドウロ河沿いを溯る。終点ポッシーニョ駅で下車し、駅前にあるカフェでタクシーを呼んでもらう。すると慣れた手つきでエスプレッソを淹れていたマスターが一瞬のうちにタクシードライバーへ転職するところを見ることができる。店の前で日向ぼっこをしていた可愛らしいシニョール達に見送られ、更に30分間峠を攻める。フォシュコア近くの村でジープに乗り継ぎ、道なき道を進んでいく。視界が開けると、満開というには程遠いけれど花が咲き始めたばかりの白いアーモンドの木を、山を切り開いて作られた広大な葡萄農園の深緑色を背景にして所々に見つけることができた。
僕はジープを降りて、山と岩と空と川に囲まれた、「音がしない音」が聴こえそうな渓谷を壁画を目指して歩いた。あると言えばガードマンの詰め所が一つあるくらいの大自然だ。写真から、とても大きな、2メートルくらいの壁画を想像していたが、実際に見ると壁画は50センチくらいで、かわいい牛や馬やサーモン(下手過ぎてどう見てもヒラメに見える)がまるで落書きか、あるいは本番に備えた下絵のように無造作に彫られているというものだった。二、三個はガードマンが暇つぶしに彫ったものが混じっていてもおかしくない。どう考えても彼の仕事は暇だ。
道を歩いている途中、コケが生えてちょうど目の様に見える、魚の形をした大きな岩を見つけた。ガイドの女性に、「見て、こっちの方がサーモンに見えるよ」と教えてあげると、何か気に障ったのだろうか、ついさっきまで声高々にリップサービスを交えながら壁画の解説をしていた彼女は、「NO」と無表情で必要最小限の返事をした。
よく考えてみると、あのサーモンは彼女の作品だったのかもしれない。

20080225

稜堡式城郭都市エルヴァス 十字砲火 HP回復


アレンテージョ地方の中心都市エヴォラから、さらに二時間半ほど高速バスの柔らかいシートに揺られる。どこまでも続く草原、斑に生えたオリーブの木とコルク椰子、大地を這ってゆっくりと移動する雲の影。アレンテージョ特有の景色の中に、壁に囲まれた町エルヴァスが丘の上に現れる。

スペインとの国境からほんの目と鼻の先にあるこの町は、サンタ・ルジアとノッサ・セニョーラ・ダ・グラッサと名づけられた要塞に守られている。大砲による十字砲火(正面と側面の二つの方向から一箇所を狙って攻撃すること)を可能にする為に、城壁は上空から見ると星のような配置(1)をしている。

ポルトガルの、特に内陸では、まるでRPGのフィールドと町のように、広がる大地に塊のような町がぽつねんと佇んでいる風景をよく目にする。

僕は旅の記録をセーブする為に町の教会へ行き(生憎閉まっていた)、HPを回復する為に町の宿屋に泊まり、情報収集をする為に入った町唯一の酒場で、ハウスワインを開け、ジャガイモベースの人参スープを飲み、アスパラガスの入ったスパニッシュオムレツを食べ、デザートにセリカイア(2)を食べた。この町では古くからの伝統のある「カーニバル」というイベントが発生するはずだったのだが、本降りになった雨の中でパレードを始めようとする人はおらず、町中に設置されたスピーカーから楽しげな音楽だけが大音量で流れていた。


(1)星のような配置 :稜堡式城郭と呼ばれる城郭形式。
(2)Sericaia de Elvas :エルヴァスに伝わる伝統的な焼きスフレ。シナモンパウダーを振りかけ、この地方で採れるプラムを蜜漬けにして添える。濃厚な卵の風味と、フルーティーなプラムのソースがよく合う。

20080218

世界の車窓から 北海道と四国 領収書


ポルトガルの国土は狭い。地球の歩き方の表現を借りるなら、「北海道と四国を足したくらい」の面積しかない。更に言えば、首都リスボンは「山手線の内側」に納まってしまうくらいのスケールだ。ただし地図の直線距離を見て安心してはいけない。都市を結ぶ道路がきちんと整備されて直線になっているとは限らないし、市内は市内で大抵高低差のかなり大きな土地を選んで築かれているため往々にして急勾配の坂道が多い(無論石畳)。

小さな国には小さいながらの小さい村が大地に散らばった宝石のように沢山ある訳で、ポルトガルに住むからには旅行で見落としがちな、そういった村や町に行かない手はない。という訳で、僕は毎週末を使ってあちこち旅して回っている。文字通り北へ南へ東へ西へ。そして領収書をかき集めてポルトガル語しか通じない秘書さんに渡すのだ。


ここ一ヶ月でいった町
・Sintra(Costa de Lisboa)
・Evora(Alentejo)
・Elvas(Alentejo)
・Porto(Norte de Portugal)
・Vila Nova de Foz Coa(Norte de Portugal)
・Coimbra(Centro de Portugal)
・Vilamoura(Algarve)

コンペ前 勤勉 グローバリゼーション


実際ポルトガルはラテン系の国の中でもかなり勤勉な部類に入る。ちゃんと毎朝10時には事務所におおよそのスタッフが揃うし、きちんと毎晩7時まで働く。仕事のキリが悪ければ8時くらいまでだけど残業だってする。それでもポルトガルに来る直前、「海外の事務所っていいよね、日本と違って絶対徹夜とかしないでしょ。」なんて事を周りから言われることが少なくなくて、実際僕もそう思っていた。

研修を開始して10日目。事務所で眩しい夜明けを見るまでは。

「ユウスケ、これがグローバリゼーションだよ。もはや徹夜をしない設計事務所なんてどこの国探してもないよ。」事務所近くのパステラリアでパォン・デ・デウシュ(1)を頬張りながら同僚ヌノは言った。


(1)Pão de Deus :神のパン。ココナッツの風味を効かせた真ん丸いパン。うっすらと粉砂糖が降り積もっている。チーズとハムを乗せて食すと美味。

20080217

葡萄牙語 国境を越えた恋 more or less 

事務所でのコミュニケーションは基本的に英語。スタッフのほとんどが英語を(さらにいえばスペイン語やフランス語も)話せるおかげだ。年配のシニョール、シニョーラはさておき、若い人は一般的に英語を苦にすることなく話す。とはいえ、現地の言葉を理解できるに越したことはない。彼らはポルトガル語でものを考え、ポルトガル語でデザインを進めているのだから。

現地の言葉を覚えるのに良い方法とは何か。国境を越えた恋を実らせるというのもドラマチックだが、いささか敷居が高い。もっと簡単なことだ。たとえば僕は、日本語で思ったことを英語にして声に出している。彼らもまたポルトガル語で考えたこと英語に変換しているに過ぎない。「日本の英語」と「ポルトガルの英語」は明らかに違うのである。共通のフォーマットを用意することで、かえって個性が浮き彫りになるというのは真理だ。

そこで僕は、彼らの英語をひたすら注意深く聞くことにした。例えば彼らが英語の中でよく使うフレーズは、彼らがポルトガル語で話す時によく使うフレーズという可能性が高い。

結果として、彼らは面白いほどに"more or less"( 多かれ少なかれ、大体{だいたい}、おおよそ、まあまあ)を連発していた。less is more ならぬ、more or less。ほとんど必要のあるなしに関わらず、リズムやテンポを整えるように彼らはこの言葉を使う。本当に良く使う。ポルトガル語だと"mais ou menos(マイゾウメーノシュ)"良い意味でも悪い意味でも、この国のゆったりとした国民性を最も適切に表していて興味深い。ポルトガル人と英語で話す機会のある人は、是非一度気づかれない程度に聞き耳を立ててみることをお勧めする。

では「日本の英語」はというと、"a kind of"(ある種の)、"really?"(マジで?)などが圧倒的に多いと指摘される訳で。確かに。

20080214

ボンディーア 一ヶ月 ミラドウロ


早いものでリスボンでの研修も一ヶ月以上が経過した訳だ。
まだ一ヶ月だ、と鼻で笑うこともできるし、もう一ヶ月だ、と残り時間を月単位で数えて少し焦ってみたりすることもできる。正確に言うと38日が過ぎて、なんとなくだけど日々考えていることを記していくことにした。この一ヶ月で僕は新しい環境に移り、生活に必要なものを一通り揃え、25歳になった。写真は城に向かう途中のミラドウロ(ビューポイント)より。