20080331

うみねこ 役割分担 コンペの勝率


無印良品のノートを愛用しているヌノ・グジュマオンの事務所は、目の前10mに海のようなテージョ川が広がる最高の敷地にある。仕事に飽きたら日差しの強い屋外に出て、目を細めながらぼうっと水面を眺める。うみねこの啼く声がひんやりとした事務所の中に響いて消える。事務所の壁には、亀田の柿の種とTOPPOのパッケージが色見本や印刷サンプルに混じって貼られている。彼らがポルトガルの政府関係の展覧会のデザインを担当しているような、国内有数のデザイナーだと知ったのは仕事を熟した後のことだった。
ヨーロッパの、しかもポルトガルでデザイナーの仕事を手伝うとは思っていなかったけれど、僕はこの短い間にずいぶん貴重で刺激的な体験をした。彼らの考えていることは建築とまるきり同じようでもあり、あるいは全く違う次元であったりもする。
グジュマオンが言うには、ポルトガルは基本的にどんな仕事も細かく役割分担をさせたがる性格があるらしい。例えばデザイナーならばグラフィックデザイナーなのかインテリアデザイナーなのかコミュニケーションデザイナーなのかエクイップメントデザイナーなのかをはっきりと表示しなければならない風潮があるという。しかし最近では、世界的にはそれらの境界はどんどん曖昧になってきているし、保守的なポルトガルも変わっていかなくてはならない。実際、今回僕が手伝ったコンペも、小学校のインテリアリノベーションの提案をするというものだった。
彼がカヒーリョと仕事をするのは、カヒーリョがそういった事に対する偏見を持たず、変化に対して鋭い感覚を持ち、常に新しいものを取り入れる貪欲な姿勢を持っているからだという。その点に関しては僕も賛成だ。

ただヌノ・グジュマオンと組んでからというもの、カヒーリョのコンペの勝率が非常に悪いというのも考えなくてはいけない事実。そして彼ら自身はコンペに勝ちまくっているというのは、もっと考えなくてはいけない事実。

20080328

短距離走 P-06 魚の保管庫


コンペとは、息継ぎをしないで走る短距離走に似ている。もしくは、ただただ水に潜ってその深さを競うストイックな競技があったと思うのだけれど、それの方が近いかもしれない。限界まで潜った後、息継ぎをするために水面から顔を出そうとする。例えばその直前に水位が急上昇したら、いったいどうなってしまうんだろう。木曜日の夜、同僚ヌノからの電話を受けて、僕の連想したものはだいたいそんな感じのことだった。
「ユウスケ、いいニュースだ。明日から週末にかけて仕事が入ったよ。いつも一緒に仕事をしているデザイナー、ヌノ・グジュマオンの事務所でコンペ用の模型を作りに行かなくちゃいけないらしい。」
というわけで僕は2週間ぶりの週末を返上して、テージョ川に沿って西へ進んで、リスボン・アルカンタラ地区の先のべレンのそのまた先のアルジェスにある魚の保管庫を改造した、グラフィック・デザインアトリエ「P-06(ペーゼロセイシ)」の事務所に派遣されてきた。ほぼ毎日朝帰り。

20080327

先輩 充実 SUSHI PARTY


今やポルトガル国内外で飛ぶ鳥を落とす勢いの建築家、アイレス・マテウス事務所でインターンをしていたホリエ君が日本に帰っていった。同年代ということもあって、在ポルトガル日本人の先輩の彼にはなにかと心構えなどのアドバイスを貰うことが多かったように思う。会うたびに見る彼の充実した表情は、少なからず僕の指針となっている。近いうちに恒例SUSHI PARTYも開いてみようと思う。


リスボン市内の建築事務所で働く日本人 :残り2人(推定)


20080326

バカリャウ 休日出勤 天衣無縫


滞りなく模型とパネルを梱包し、レンタカーに詰め込む。最後は模型職人パウロに搬送を任せて、僕らは馴染みの食堂で少し遅めの昼食をとった。少し味付けの濃いバカリャウ(1)にオリーブオイルをたっぷりかけて食べながら、達成感と疲労感の混じりあった、今までに幾度となく味わったことのあるあの独特の感覚に僕は少しの間身を任せていた。
バカリャウとつけあわせのひよこ豆をゆっくりと胃袋に収めながら、深くプロジェクトに関わることで初めて浮き上がってくる地平についてあれこれ考えてみる。いい事ばかりではないということも。それでもポルトガルに来て良かったと確信できるのは、きっと恵まれたことなのだろう。

三連休も毎日休日出勤していただけに、生活のリズムがリセットされないまま月曜日を迎えてしまった。本来ならコンペ提出日の午後とその翌日は休みをもらえることになっているはずなのだけれど、コーディネーターから特に何も言われなかったことと、僕の真後ろに座っている天衣無縫な男リシャルディが担当している別のコンペに早速組み込まれてしまったことで、どうやら僕はその機会を逃してしまったみたいだ。

(1)Bacalhau :干し鱈。日本のソウルフードがおにぎりだというなら(かもめ食堂)、ポルトガルのソウルフードはこのバカリャウ。国民一人当たりの年間消費量は約13キロ、そのレシピは365通りとも言われている。スーパーマーケットの生鮮食料品売り場に近づくと、幾重にも重ねられたバカリャウが強烈な匂いを放っている。

20080318

ラジオ 魔法 気分屋


来週月曜日提出のコンペもいよいよ大詰めとなった。金曜、日曜がポルトガルでは祝日なので実質作業時間は後ほんの僅かしかない。
コンペ終盤戦独特の雰囲気が部屋に漂い始める。それまでどこか無関心を装っていたようなスタッフ達もタイミングを見計らったように案やその見せ方に対して意見を寄せ始め、陽気な模型職人がラジオを聴きながら模型の土台を作り始め、経験豊かなスタッフが参戦したことで一気に図面の密度が上がり始める。最初は二人で進めてきた案に、次々と魔法がかけられていく。
後は気分屋カヒーリョが突然設計変更などと言い出さないことを願いながら市電みたいにひたすら走るだけ。

20080317

Love Potion#9 アルファマ 津軽海峡冬景色


今年で結成六年目になる僕のバンドdominoplanから、メンバーのビンタンが遥々海を渡ってモロッコ・スペイン経由でリスボンを訪ねて来たのは先々週の木曜日のことだった。第一号。

僕らのバンドは楽器を使わない。無伴奏合唱、俗にアカペラと呼ばれていて、声や口から出す音を使って曲を奏でる。色とりどりの声色を重ねて、滲んで溶け合う水彩画のように歌を描いていく。dominoplanは女声一人男声五人の編成で、ほとんど日本人なインドネシア人のビンタンは主にリードボーカルを担当している。体全体を使って感情を表現する彼の歌声はポルトワインのように甘くて、屈託のない性格が現れているのか、素直でまっすぐな歌い方をする。

日本にいる間にスタジオで録音した音源が、時折事務所で面白がって流されるので、今やカヒーリョにまで彼の歌声は轟いている。同僚のゴンサロの現時点でのお気に入りはシナトラのTangerinだそうだ。ちなみに僕のお気に入りはサーチャーズのLove Potion no.9。
途中立ち寄ったセビーリャでは毎晩のようにフラメンコを聴いていたという彼のために、滞在最終日の夜、僕はポルトガルのファドを聴かせてあげたかったのだけれど、残念なことにほとんどの店で既に閉演。代わりにファド・バーの集まる城下の旧市街、アルファマ地区を夜中に散策することに。彼は歌同様に歩くことも好きなのだ。彼と一緒に歩くのは楽しい。些細な発見でも、一緒になって感動できる友達は貴重だ。興奮気味に、「ユウスケが何でリスボンを選んだのか分かったよ!」といってくれたのは嬉しかった。
アルファマのファド・バーと場末のスナックに共通する空気を見出したのか、街灯でオレンジ色に染る曲がりくねった路地を進むビンタンは、石川さゆりの津軽海峡冬景色を気持ち良さそうに歌っていた。

20080310

ポウザーダ 油絵 ビー玉


ポルトガル独特のビルディングタイプに、Pousada(ポウザーダ)と呼ばれるものがある。修道院や教会、城などの歴史的建造物を宿泊施設にリノベーションしたもので、ポルトガル全土に40箇所以上ある。もともとは国営だったものが、現在では民営となっている。建築家が設計を担当しているものも多く、カヒーリョも一箇所、クラートという街で「Flor da Rosa」というポウザーダを手がけている。
新旧をどう関係付けるか、その手法が一つ一つ個性を持っているので、建築的観点からもとても面白く、どれも一見の価値がある。
モンテモール・オ・ノヴォからタクシーで20分程の距離にあるアライオロスという街にも、ポルトガル建築家が増築・改修を担当したポウザーダがある。お金と時間の問題で宿泊はしなかったが、たっぷりと時間をかけて見学をしてきた。いわゆる高層・高級ホテルのような敷居の高さはない。それでいてそこはかとない上品さと歴史の重みが、主張し過ぎることなく静かにたゆたっている。

建築家ジョセ・パウロ・ドス・サントスが増築と改修を担当したポウザーダ「Nossa Senhora da Assunção 」は回廊型の既存の修道院に客室棟のボリュームを新築している。

ポウザーダ建築の最初の見所はその配置計画にある。既存部にはほとんどの場合回廊があり、その回廊をどのように解釈するかによって動線の処理やプログラムの配置が異なってくる。面白いのが、回廊の持つ意味や動線計画が全く異なっていても、ほとんどのポウザーダにおいて、ボリュームの配置は余り変わらないという点だ。これは昔からの増改築のシステム(1)を暗黙の了解で建築家が受け入れているからであり、特に奇抜な配置をしなくても、新しい空間を作ることができるという彼らの自信の現われでもあるのだろう。
アライオロスのポウザーダでは、美しい交叉ヴォールトの回廊を含む既存棟の隣に、新築の客室棟を直線状に配置することで、既存と新築に囲まれた新しい中庭を生み出している。新築部のテラスからは、オリーブ畑が油絵の絵画のような密度で広がっている。
新旧は対比させるのではなく、素材や仕上げ、ボリュームのバランスを調整することでむしろお互いが一度溶け合い、その中のいたる所に現代的な表現がちりばめられ、浮き上がってくるような関係になっている。の素材の変化や天井と壁面の納まり。既存回廊を囲むガラスの納まりや、客室棟階段の手摺の石材の仕上げ方。それらの建築言語全てがある一貫した空気を持っていながら、全体像に溶け込んで統合されるのではなく、白い壁に嵌め込まれたビー玉のような存在感を示している。どこかカルロ・スカルパのカステルヴェッキオに通じるような、そんな印象を得た。

(1)昔からの増改築のシステム :回廊の増殖と、直線状にプランを延長していくシステムは、昔から変わらず使われていた。要はこれらをどう組み合わせるか。

20080309

日帰り旅行 1755年の大地震 ロボット兵 


リスボンからの小旅行といえば、ポルトガルを旅行したことのある人ならユーラシア大陸最西端のロカ岬や、その道中の世界遺産の街シントラを真っ先に思い浮かべるだろう。もちろん、行く価値は十分にあるのだけれど、同じくらいの時間をかけた日帰り旅行なら、もっとお勧めしたい場所がある。
バスターミナルでチケットを買って長距離バスに乗り込む。眩しい朝日に向かって進路を取り、内陸部へと入っていく。一時間半も経てば旅の目的地モンテモール・オ・ノヴォに到着する。天正少年使節団も訪れたというこの街は、丘を中心として大樹に寄り添う影のように麓に広がっている。
旧市街を抜け、丘の上に登る。頂上には、1755年の大地震で崩壊した城の骸が、砂浜で一晩風雨にさらされてしまった力作のように立っている。丘の頂上、崩れた城壁に囲まれた大地では小さな花が咲き乱れ、遥か下界には360度のパノラマでアレンテージョの湿り気を含んだ景色が霞みながら広がっていく。すぐ隣にロボット兵が歩いていて、パズーとシータが見張り台の凧を係留しているような世界といえば分かりやすい。
多少命を懸けて、城壁の一部の狭い足場をたどって先端まで進めば、非現実的な遠近感とスケール感で下界が広がる。地球の歩き方にも、ロンリープラネットにも載っていない街で、僕は少しだけムスカ大佐の気持ちを味わった。

20080303

ヴィラモウラ 海岸線 環境の足跡

働き始めて間もない頃は、模型や図面の手伝いなどを通して、仕事の進め方や事務所の雰囲気に慣れることに重点を置いていた。

しばらくしてプロジェクトを四つほど手伝い終え(そのうちの一つは僕が手伝っている間にポシャッてしまったのだけれど)、こちらも向こうも慣れてきたというのもあって、所員の人と2人でポルトガル南部アルガルヴ地方の港町、ヴィラモウラのリゾート開発のプロジェクトをやらせてもらえることになった。3月末提出。

移動時間が滞在時間の倍というスケジュールで、ポルトガルの南端にある敷地へ日帰り小旅行。潮の匂いがゆらゆらと漂う敷地周辺をしばらく見て回る。プログラムにマリーナや船の修理工場などを含んでいるので、許可を取って停船場を見学させてもらう。

聞けば、こういったリゾート開発の仕事は年々増えてきているという。自然の多く残るポルトガルには、昔からドイツやイギリスから観光客が訪れていた。彼らが落としていく金はポルトガルの貴重な資本となっていることは確かだ。しかし近年の、特に沿岸部の開発には節操が無い(1)。違法建築・砂丘の破壊・無許可の砂採取などによって、海岸線の80%がすでに何らかの形で人の手によって荒らされている。

ポルトガルの設計事務所(若手、大御所問わず)で、こういった仕事に関わっていない事務所の方が少ないのではないか。まだカヒーリョは仕事を選んでいる方だと言うが、それでも都市計画規模の開発をしているプロジェクトもある。シザ事務所アイレス・マテウス事務所との合同プロジェクトもある。

いつか国全体が後悔する時が訪れたときには、全てが手遅れになっている。そしてその時はいずれ訪れる。2人でコンペを任される喜びと期待の一方で、無計画に資源を浪費することにこれといった疑問も持たない一部のポルトガル人に、ぬかに釘を刺すような虚しさを覚えた。


(1)節操無い開発 :環境団体のQuercus(ケルカス)は、「環境の足跡」という指標を発表した。一人当たりの資源消費量を賄うに、どれだけの土地と水が必要なのかを示している。同団体の調査によると、ポルトガルにおいては、この値は一人当たり5.2ヘクタールであった。世界の平均は1.8ヘクタールで、この事実からもポルトガルが資源を無駄使いしている悲しい現実を知る。

20080302

アシカ 醍醐味 壁厚80センチメートル


ヨーロッパでは珍しく、うちの事務所ではMACを使う。CADソフトにはArchiCADを使う。日本語だと「アーキキャド」、ポルトガル語だと「アシカ」。海外では殆どの事務所がAutoCADを使うと思っていたから、日本にいる間に使いこなせるようにしてあったのに、寧ろ弊害になりかねないでいる。最初に本格的にパソコンで図面の手伝いをしたのは、リスボン市内の古いアパートの改修計画だった。
最初は慣れないソフトと研修生用の少し旧型のパソコンに苦労させられたが、僕はこの図面での作業が、海外設計事務所の醍醐味のようなものを味わえて好きだ。特に改修図面での作業が好きだ。
垂直も水平も無い既存図面に合わせて新しい壁や開口を描き込むのが好きだ。動線の位置を変更して新しいプログラムに合わせているのを読み取るのが好きだ。外観を変えないように、平面とのずれを修正していくのが好きだ。壁厚80センチメートルなんて、図面で見ているだけでわくわくする。

こんな楽しみ方をできるのも、日本人研修生の特権だ。