20080728

ディープ 島 木賃アパート


週末は論文に関する資料集めのためにこの半年間で五度目のポルトへ。僕はこれまでの訪問とはまた違う、ディープなポルトを体験してきた。
Rua São Vitorという通りを歩くと、建物の玄関につながる扉に混じっていくつかの狭くて暗いトンネルの入り口を見つけることがある。トンネルをくぐって中に入っていくと、間口が2メートルくらいの細長い庭が奥へと続いていて、庭の両側には小さな住宅がびっしりと並んでいる
通りに面したトンネルつきの住宅にはかつて荘園の主が住んでいたという。そして後ろの住居群には雇った出稼ぎ労働者を住まわせていた。主の住宅、共同の庭、労働者の家々のまとまりをIlha(イーリャ。ポルトガル語で「島」)と呼び、ポルトにおける労働者の為の最も典型的な住居形式としてかつては市内だけで百以上の島々が存在していたという。現在ではきちんと整備されて残っているものは少なくなってしまったが、Rua São Vitorには今なお人々が和気藹々と暮らしている島をいくつも見ることができる。中には、「イーリャ・コンクール金賞」と彫られた金属プレートを入り口に誇らしげに掲げるほど整備の行き届いている島もある。
僕は島の中がどうなっているのかと一つ一つ興味深げに中を覗き込んでいた。すると奥の方でおばあちゃんが「そんなところから見てないで入ってらっしゃいよ。」と言わんばかりに手招きをしているので、僕は調子に乗ってずんずんと庭の奥に入っていってしまった。番犬に吠えられたりしながらも、実際に入り込んでみると家に挟まれた空間は意外と居心地がいい。
狭い間口に狭い部屋、共同便所。そして漏れてくるテレビの音と鰯の炭火焼の匂いが僕に思い出させたものは、他ならない日本の木賃アパート地域のスケール感だった。

20080710

満了 往生際 ドラゴンボール


早いものでリスボンでの研修も予定の半年が満了した訳だ。色んなことがあったけれど終わってみればやっぱり短くて、最後の方ではほとんどのスタッフに「もう六ヶ月たったのか」といわれていた気がする。この六ヶ月で僕は新しい環境に受け入れられ、新しい言葉を覚え、かけがえの無い経験をしてきた。
最終日には皆を集めてカステラを振舞って声を少しだけ震わせて簡単なスピーチをして事務所を去ったけれど、僕は往生際が悪いので未だにちょくちょく同僚と飲んだりビーチに行ったりしている。

なんとなくだけど日々考えていることを記してきたこのブログは「もう少しだけ続く」。ドラゴンボールではこの台詞が出てからのほうが長かった気もするけれど。

20080706

甚平 剣道着 HANDROLL SUSHI


もはやスシ・パーティーの開催は海外に来た日本人なら必ず一度は経験するものといってもいいのかもしれない。

ヨーロッパやアメリカにおいて寿司は今や高級ディナーの地位を確固たるものにしている。中国系のエセスシ・バーがそこら中に溢れているのも、その人気の高さゆえのことだ。そんな寿司をタダで食べ放題というのだから、スシ・パーティーの需要はいわずもがなというわけだ。ドイツにいた頃と比べると随分有名になったものだ。
そんなわけで僕は研修も終わりに近づいた今月の初め、事務所のスタッフを自宅に招いて念願のスシ・パーティーをシキさんと開催した。半年経つまでパーティーを開けなかったのは、適当な広さを持った場所が見つからなかったからだ。結局、僕の家具を全部シキさんの部屋に移動してバルコニーを全面開放するということで自宅を使う覚悟を決めたのだけれど。
にぎり寿司は手間がかかるし面白みに欠けるということで、今回はビュッフェ・スタイルで手巻き寿司をすることにした。何人来るのか見当もつかなかったけれど、結局当日には十五人強のスタッフやその家族が次々に家にやってきた。甚平と剣道着を着た二人の日本人が彼らを出迎える。ネットで見つけた動画(2)を見せながら簡単に手巻き寿司のレクチャーをすると、彼らは新鮮な鮭や鮪、鰯、鯛、玉子、シーチキン(2)を慣れない手つきでアボカドやキュウリと一緒に酢飯をのせた海苔で巻いて次々口の中に放り込んでいった。
大鍋で作ったかぶらの味噌汁も出汁がきいていて旨かったし、輸入食材店で買ってきた油揚げを使った稲荷寿司も即席の割りに良くできていた。皆が持ってきた差し入れの白ワインとビールで冷蔵庫はすぐに一杯になり、その酒も次々に空になっていく。外から入ってくる風が涼しくて心地良かった。
今回一番驚いたのは、3番目くらいに到着したゲストがあまりこういったホーム・パーティーに参加したという話を聞かないうちのボスだったことだ。玄関のドアを開けるなり「Olá!」と言うカヒーリョの声と姿が飛び込んできたので、僕は面食らってしまって彼のことを上から下まで確認してしまったほどだ。彼はこの日のためにわざわざカスカイスにあるポルトガルで一番美味しいジェラテリア「サンティーニ」(3)でジェラートを買って来てくれていた。翌日事務所では早速話題になっていて、パーティーに来なかった他のスタッフから「カヒーリョが来たんだって?」と聞かれたりもした。
おそらく僕はこの夜研修期間で一番彼とじっくり話をすることが出来たと思う。すぐに帰るだろうと思っていた彼も、気付けば夜の2時過ぎまで残っていた。全員が帰った後、テーブルの上の大量の空のワイン・ボトルとビール瓶を片付けながら、僕はシキさんとパーティーの成功を噛み締めていた。

(1)ネットで見つけた動画: How to make Hand Roll Sushi
(2)鮨ねた: 結果的に言うと、一番人気は鮭で一番不人気は鰯だった。鰯は小骨が気になるのが原因と思われる。鮪は日本のものとは品種が違うためか色がドス黒いのであまり食欲はそそらない。
(3)SANTINI: 親子6代に渡る老舗アイスクリーム屋。毎日その日の分量だけを予想して作っている。ヨーロッパ諸国から要人がこの味を求めてやってくるという。http://www.geladosantini.com/

20080705

スキャンダラス レゴ・ブロック 満員


小高い丘の上に立つ城からレイリアの街を見下ろしていると、旧市街とは反対側にある色鮮やかなスタジアムから途切れ途切れに大きな歓声が聞こえてくる。上から見るとアルファベットのUの形をしたこのスタジアムは、ポルトガル建築界の異才トマス・タヴェイラによるものだ。
彼の話を持ち出すと、どちらかというと彼のスキャンダラスな私生活の方がメーン・テーマになってしまいがちなのだけれど、彼の作品がポルトガルのポスト・モダンを語る上でとても重要な位置を占めていることは事実だ。「ヨーロッパ建築案内」というあまりにも有名な本の中で、彼の設計したポスト・モダンなショッピングセンターがポルトガル・リスボンのページの最初に載っているのはさすがにどうかとは思うけれど。
トマス・タヴェイラはスタジアム建築家という顔も持っている。ポルトガル国内だけでもいくつものスタジアムを設計しており、アヴェイロに建てたものは国際オリンピック委員会から最優秀スタジアム賞を受賞している。
僕は歓声に導かれるようにスタジアムへ近づいていった。赤、白、青、黄色、緑、黒といった原色がちりばめられた外壁は、まるでレゴ・ブロックでできているみたいに賑やかで楽しい。その日はヨーロッパ陸上選手権の一次予選が開催されていて入場は無料だったのだけれど、観客の入りは6割といったところ。それでも一つ一つ色が違う席で埋め尽くされたカラフルな客席に座っていると、満員の会場にいるみたいな気分になってくる。カラフル・ポップなタヴェイラの建築はそこにいるだけでなんだか楽しかった。

20080703

雑談 複合施設 反転


バターリャに接しているレイリアは、ちょうどリスボンとポルトの中間に位置していて昔から交通の要衝として栄えている。レイリアの街にはムーア人が手がけたレイリア城と、ポルトガル建築界の異才トマス・タヴェイラが手がけたスタジアム、そして事務所が手がけた集合住宅と商業施設のコンプレックスがある。僕はバターリャからタクシーで足を伸ばしてレイリアを訪れてきた。
日本人を珍しがる運転手と雑談をしながら北上する。レイリアには20分ほどで到着し、僕は街で一番大きそうな広場でタクシーを降りた。丘の上からレイリア城が静かにこちらを見下ろしている。事務所の作品であるコンプレックスは城を背景にして広場に面した小さな敷地に建っている。集合住宅とレストランと映画館とNIKEとZARAが入った複合施設は思ったほど大きくはなかった。
既存の建物に連続するように新築部分のヴォリュームが付け加えられている。外からみると面的な要素でパキパキと構成された新築部分とマッシブな既存部分の対比が目立つのだけれど、地上階の内部空間で両者は繋がっている。新築部分の周りにはサンクンガーデンが掘られていて、地上部分とスロープを使って連続的に繋がっている。絡み合う動線を巧みに処理して、ちゃんと意匠にまで高めているのはさすがだ。
でもやはり既存と新築の関係が際立っている。新築部分のエントランスはコンクリート・スラブの屋根に覆われた小さな広場になっている。既存のヴォリュームをそのまま延長するのではなくて、屋根だけを延長することで認識される空間だけを延長している。黒く塗られた既存部の壁を境にして古いものと新しいもの、虚と実が反転しているみたいで面白い。
この作品は作品集や事務所のポートフォリオの中でも扱いが小さくて実はあまり知られていないのだけれど、何も知らずに訪れたとしても確実に印象に残るであろう隠れた名作。

20080630

バターリャ マヌエル様式 バター・クッキー


地球の歩き方のバターリャのページはたった見開き2枚分しか割かれていない。本屋でぱらぱらめくっていたら飛ばしてしまうかもしれないけれど、見どころの修道院はポルトガル宗教建築の中でも最高傑作の一つとして世界遺産に指定されている。
リスボンからバスで2時間ほど北上すれば、ポルトガル語で「戦(Battle)」の名前を冠したバターリャの町に到着する。ポルトガルのバス停はここがどこなのかをはっきりと表示していないことがある。そういう時はいちいち道路標識を確認したり他の乗客に尋ねたりするのだけれど、バターリャでは町よりも先に小人に囲まれたガリバーみたいにスケールアウトした修道院の姿が見えてくるのでバスを降りるのに迷うことはなかった。
修道院前の広場に到着すると、ささやかな町に不釣合いな程迫力のあるヴォリュームと、外壁に施された繊細で緻密な装飾との間で、僕はスケール感を掴むことができずにしばらくの間修道院に近づいたり離れたりを繰り返していた。
修道院には未完の部分もあったり、時代ごとに設計者も変わってたくさんの様式が絡み合っているのだけれど、中でも構造から装飾へと関心が移っていった後期ゴシック様式の特徴が強く見られる。
フランボワイヤン・ゴシックはポルトガルで独自の変化をとげ、マヌエル様式(manuelin)と呼ばれるようになった。フランボワイヤン様式の装飾のモチーフが一般的に燃え盛る炎なのに対して、マヌエル様式の装飾のモチーフは大航海時代を象徴する海だ。珊瑚やロープなどが柱に巻きつき、舵やいかりが天井を飾っている。魚や貝が回廊を泳ぎ、アフリカ・アジアの珍しい動物もいたるところに隠れている。驚くべきことにモチーフの繰り返しはほとんど見られない。大航海時代の局所的な文化と建築様式の流れが見事に融合している。
バターリャ修道院は仕上げに石灰岩が使われている。石は時間がたってクリーム色になり、昼間の強い太陽の光に照らされた回廊は石灰岩の質感も手伝ってまるでサクサクとしたバター・クッキーでできているみたいに見える。
バターの香りが漂ってきそうな装飾を一つ一つ眺めていくのもマヌエル様式の楽しみ方の一つだ。たまに柱の足元なんかであまり旨そうじゃないどこか間の抜けた顔を見つけたりするけど、それはそれで楽しい。

20080629

王様のレストラン 右巻き 左巻き


カタツムリの美味しい季節がやってきた。じりじりと照りつける陽射しの中、食堂の店先には直径1~2センチメートルくらいのカタツムリがぎっしり詰まった網が吊るされている。エスカルゴみたいにごろりと大きいものではないけれど、僕はビールを飲みながら皿の上に山盛りにされたカタツムリたちをつまようじでちまちま食べるのが気に入っている。一回に平均で30個くらいは食べてるんじゃないだろうか。

ある日僕はコーディネーターのフランシシュコにカタツムリの食べ方を教えてもらった。彼は王様のレストランの松本幸四郎みたいに旨いものの一番旨い食べ方を知っているのだ。
「ユウスケ、いいか、カラコイシュ(カタツムリ)の一番旨い食べ方はこうだ。
まずはゆっくり一日お気に入りのビーチで過ごすんだ。夕食時になって十分に腹が減ったらビーチを出てお気に入りのレストランへ向かう。もちろんいいカラコイシュを出す店だ。そこでビールと一緒に食べるカラコイシュが一番旨いんだ。」
僕はギャルソン・フランシシュコに言われたとおりに週末をシキさんと近場の手頃なビーチで過ごしてから家の近所のレストランでカタツムリを食べた。一時間半の滞在ではゆっくりと過ごしたとは言えないかもしれないけれど、バターとにんにくと香草でじっくり炒められたカタツムリは右巻きのものも左巻きのものもどちらもよく味が染みていて旨かった。
丁度サッカー・ユーロ2008でスペインが優勝を決めた日で僕らも店で観戦していたのだけれど、それはまた、別のお話。