20080227

ボウサの集合住宅 重心 ジェントルマン 


アルヴァロ・シザの建築についてはいずれしっかり考察をまとめるとして、今回は「ボウサの集合住宅」について。

先日ポルトに寄った際に、実際にボウサに住んでいるシザ事務所のイトウさんのご厚意で(1)一晩泊めて頂いた。おかげで思わぬタイミングで貴重な内部空間を体験することができた。シザと建築、ポルトと建築、20世紀ポルトガルの政治と社会と建築。これら全ての関わりを知る上で外せない作品だ。
シザが手がけた幾つかの低所得者の為の集合住宅の中でも初期の頃の作品で、かつ最新の作品の一つでもある。段階的に計画が進められたといえば聞こえは良いのだけれど、革命期(20世紀のポルトガルは、この革命抜きには語れない)に不法侵入者によって占拠されてしまった為に計画を中断せざるを得なかったというのが実情だ。
敷地内には4つの細長い棟が平行して配置されており、それぞれの棟の間は芝庭になっている。2層メゾネット形式で、傾斜した地形に合わせて巧みに動線が処理されている。手すりなどの要素には赤やグレー、ベージュといった色が使われているのだが、棟が変わる毎に色の使われ方も変わっている。それが繰り返される白いボリュームに重心の変化をもたらしている。
内部空間は至ってシンプルで機能的に収まっている。でもやはり玄関の扉や窓に取り付けられた鎧戸などの開口部の納まり、そして目地や見え掛かりの線の整理の仕方、全てがシザ事務所の仕事を確信させる。これについてもいずれ言葉に乗せなくては。
シザはボウサを設計するに当たって革命時代のポルトの荘園つき邸宅の構成を参照している。通りに面して地主の住む建物があり、その後ろに使用人や出稼ぎ人を住まわせる細長い住居が配されているという構成。ボウサでは、彼らがパビリオンと呼ぶ独立した建築を頭として、集合住宅棟の長屋ような体が後ろにくっついている。歴史的な要素をデザインコードとして用いる手法は、シザの建築では意外と見られるものだ。

最近ポルトガル語の個人授業を受け初めて、まだまだ当分はポルトガルから離れる様子のないジェントルなイトウさんの部屋の冷蔵庫には、スウェーデン語会話の一文一訳が貼ってあった。

(1)ご厚意 :ポルトガルには建築関係の日本人同士の緊密なネットワークが存在する。研修生や留学生を含めほぼ皆自然と(無論先駆者の方々が良好な循環を作ってくれたおかげで)顔見知りになる。このことが改めてポルトガルの狭さを実感させるのも事実。少なくともスペインにはないらしい。

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