20080429

青の劇場 漂白 分解 


テージョ川を挟んでリスボンの対岸の街アルマダに、ポルトガルの建築家兼評論家マヌエル・グラサ・デイアシュの設計した「青の劇場」が建っている。僕は休日を利用してその劇場を見学するために、同居人のシキさんと一緒に沢山の観光客に混じってカイス・ド・ソドレ港からフェリーに乗って対岸に向かった。 真夏のように強い陽射しの中で、僕は多くの観光客みたいにパーカーを脱いで腰に巻いた。街行く人の露出度も随分と上がってきている。

アルマダの街はどこもかしこも工事中で、じりじりと照りつける太陽の光が路上に盛られた砂に反射してやけに眩しい。建物のタイルが年老いた魚の鱗みたいに剥げ落ちている。商店街の店の広告が色褪せている。それでも僕は不思議と物悲しさは感じなかった。貧しさは感じても、どこか明るい。貧しさが人の心にもたらす悲観的なものを、ポスターのインクと一緒に太陽が漂白してしまっている。

「青の劇場」はそんなアルマダの中心地近くに佇んでいる。全身を小さな青いタイルで覆われた姿で、強い存在感を放っている。同時に、必然性すら感じさせるほどの街との一体感も放っている。
周辺の建物と驚くほど近接していて、建物自体も決して小さくはないのに圧迫感を感じないのは、ボリュームの操作が巧みなのと、近づくと建築ボリュームのスケール感がタイルのスケール感にまで分解されてしまうからだろう。豪快さと繊細さがうまくバランスをとりあっている。建物の周りをゆっくり一周しながら真っ青なボリュームを見上げていると、空が紫がかった変な色に見えてきた。空より青い名作。

20080425

4月25日 SAAL 海神の勇者達


1974年以降、4月25日はポルトガルにとって最も大事な日付のひとつとなっている。

40年以上続いたアントニオ・サラザールの独裁体制(エシュタード・ノヴォ)に対して起こった革命は、ほとんど血が流れずに成就したことから無血革命とも、革命軍の兵士が銃口にカーネーションを挿していたことからカーネーション革命とも呼ばれている。当時の首相カエターノが投降したのは、立てこもった共和国警備隊本部の建物が包囲されて、目の前のカルモ広場が革命に賛同する人々で埋まってからすぐのことだった。

革命がポルトガル建築界に及ぼした影響も大きい。
革命後の低所得者向けの住宅供給プロジェクトSAAL(servicio de apoio ambulatorio local)が発足し、これに参加するアルヴァロ・シザらが多くの名作と呼ばれる集合住宅を設計した。また、それまでは情勢の不安定なリスボンよりもポルトが建築界のメインストリームだったのに比べて、リスボンに次世代の建築家が現れてきている。挙げればきりがないが、革命抜きに語れない部分が多いのは事実だ。

ポルトガルでは革命記念日は休日。革命の象徴でもあるカルモ広場では、終わってしまっていたがどうやら吹奏楽団が演奏をしていたらしい。広場に面した共和国警備隊本部の建物では革命に関する展覧会が開かれ、彼らが使っていた武器や乗り物が中庭に所狭しと展示されていた。よく見ると街を歩いている女性が手に手にカーネーションを持っている。きっとどこかで配っているのだろう。テレビでは革命に関する生放送特番が放送されている。そういえば、朝カフェでチョコクロワッサンを食べているときに、突然広場でおばちゃんが歌いだしたのはポルトガルの国歌だった。

「海神(わだつみ)の勇者達
勇敢かつ不滅の国家
今一度立ち上がれ
ポルトガルに栄光あれ!
追憶の霧の彼方から
おお祖国よ 聞こえるか
我等を勝利に導く先人の声が!

武器を取れ!武器を取れ!
大地に 海原に
武器を取れ!武器を取れ!
祖国のために戦わん
砲撃をかいくぐり 進め!進め!」

勇ましく歌い終わった直後、おばちゃんはそのままサビだけのビートルズメドレーに繋げた。

20080421

快晴 ホワイトアスパラガス 翳りゆく部屋


最近のリスボンの街の上には、今にも雲ひとつ無い快晴になりそうで、それと同時に今にも窓ガラスを激しく打ち付ける雨が降り出しそうな空が広がっている。先週の大型コンペの提出以降、しばらく平穏な日々が続いている。

週末には、部屋のゴミを出し、本棚を整理し、床をモップで磨いて、スーパーで買ったサーモンの切り身をバターでソテーして、ホワイトアスパラガスと一緒に食べた。そんな普通の週末を過ごしたのも、約四週間ぶりということになる。ぼうっと日が照ったり翳ったりする部屋をただ眺めながら、僕は残りの研修期間のための息継ぎをしていたのかもしれない。

20080420

黒いボルボ 東京電力 発生しないアクティビティ 

ようやく関わっていたコンペが終了した。

最後の最後で用意していた車に梱包した模型が大きすぎて入らなかった時に少々混乱はあったけれど、最後の最後の最後でカヒーリョ自ら彼の黒いボルボで提出先に向かって、どうやら締め切り5分前に提出できたらしい。後にも先にもあんなに素早く動くカヒーリョを見ることはもう無いかもしれない。
今回のコンペはリスボン内のテージョ河に面した都市計画規模の敷地に、プログラムを含めて開発計画の提案をするというもの。クライアントはEDP(Energias de Portugal)という、日本でいう東京電力のような電力会社で、彼らの所有する、もしくは交渉している段階の土地が敷地になっている。

うちの事務所から目と鼻の先にある場所で、隣はノーマン・フォスターが担当することが決定している区画になっている。ポルトガル国内の著名な建築家がこぞって参加していることからも、リスボンの中でも重要な意味を持つ地区だということが伺える。

ポルトガルの建築家は、都市計画的な視点をあまり得意としない。という見解がある。そもそも、首都リスボン自体が、他の主要な欧州都市と違って綿密な計画の上に建てられた街ではないし、リスボン市内の一部を除いて、国内に近代都市計画の成功例はあまり多くない。さらに、経済的な理由から、ポルトガルではアクティビティが発生しにくい状況が生まれているという。平面図でカフェやショップを描き込んで、いかに賑やかに見せても、なかなか思うように店舗が入らずに閑散としてしまうケースが後を絶たないらしい。
だからこそ、「美術館」みたいに与えられた条件の中での提案ではなく、条件そのものを含めて提案するという今回のコンペの試みはポルトガルにとって、またポルトガルの建築家自身にとっても、とても価値のあるものになるだろう。彼らが自覚しているかは別にして。

僕にとっても、このコンペを通じて得たものは大きい。技術的な収穫もかなりあった。プレゼンテーションのレイアウトや、ブックレットの製本の仕方なんかも、デザイナーのヌノから色々とコツを教わった。何より来葡して最初の週に関わったポルトのコンペでは、敷地模型の一部しか作らせてもらえなかったのに比べると、遥かにプロジェクトに深く関われて楽しい。後は研修生用の旧型のパソコンがもう少し速く動いてくれたら言うことはないのだけれど。

20080409

食欲 集中力 当社比


今夜は夕食後再び出勤。僕はライトアップされたエストレーラ教会の前を横切って(本日五回目)事務所へ向かった。
現在関わっているコンペの締め切りが次の火曜日と迫ってきた。このくらいの時期になると、場合によっては夕食後も仕事をすることになるのだけれど、これが僕にとっては新鮮だった。夕食後に仕事をすることがではなくて、一旦家に帰るということが新鮮だった。
定時に一度帰宅をして、料理をして、食欲を満たして、少し休憩をして、また事務所に向かうなんて一連の流れはこちらではごく当たり前のことになっている。節約するために昼食を自炊しようとすれば、昼休みにも帰宅することになる。一日に何度も出所しているみたいで、なんだか集中力も上がっている気がする。当社比。
丘の上にある自宅と丘の下にある事務所とをケーブルカーみたいに一日に何往復もして、僕はその回数と同じだけ、濃い目のエスプレッソを飲んでから仕事に取り掛かる。

20080401

坂道 サマータイム サグレシュ 


ポルトガルに春が来た。
朝事務所に向かう坂道では、白いライムストーンの石畳に強い陽射しが反射して目を開けていられない。事務所のスタッフも徐々に衣替えを始めている。3月末にヨーロッパがサマータイムへ移行したのを境にして、リスボンを漂う空気も時間も春の装いに変わったみたいだ。定時に仕事を終えて外に出れば、外はまだ明るいし日によってはムッとした熱気に包まれることもある。
ポルトガルではこの時期になると食堂のメニューに魚が増え始めるという。ビーチに行く準備として、ヘルシーな魚料理で冬の間にたっぷりと蓄えた脂を落とそうとしているのだ。ここから先ポルトガルの気候は暑くなる一方だというから、4月に入ったばかりだというのに皆こぞってビーチに行ってしまう気持ちも分かる。
昼食のとき、お酒を控えていたはずのスタッフが徐にインペリアール(1)を注文してしまう気持ちも分かる。こんな日和に飲まないなんて嘘。

(1)imperial :リスボンでの生ビールの通称。普通のビールはセルベージャ(cerveja)。ちなみにポルトガル第二の都市ポルトではフィーノ(fino)と呼ばれている。ジョッキで、なんていうことはなく、控えめにコップ一杯で出される。別に春じゃなくても昼間っから飲むのだけれど。