20080630

バターリャ マヌエル様式 バター・クッキー


地球の歩き方のバターリャのページはたった見開き2枚分しか割かれていない。本屋でぱらぱらめくっていたら飛ばしてしまうかもしれないけれど、見どころの修道院はポルトガル宗教建築の中でも最高傑作の一つとして世界遺産に指定されている。
リスボンからバスで2時間ほど北上すれば、ポルトガル語で「戦(Battle)」の名前を冠したバターリャの町に到着する。ポルトガルのバス停はここがどこなのかをはっきりと表示していないことがある。そういう時はいちいち道路標識を確認したり他の乗客に尋ねたりするのだけれど、バターリャでは町よりも先に小人に囲まれたガリバーみたいにスケールアウトした修道院の姿が見えてくるのでバスを降りるのに迷うことはなかった。
修道院前の広場に到着すると、ささやかな町に不釣合いな程迫力のあるヴォリュームと、外壁に施された繊細で緻密な装飾との間で、僕はスケール感を掴むことができずにしばらくの間修道院に近づいたり離れたりを繰り返していた。
修道院には未完の部分もあったり、時代ごとに設計者も変わってたくさんの様式が絡み合っているのだけれど、中でも構造から装飾へと関心が移っていった後期ゴシック様式の特徴が強く見られる。
フランボワイヤン・ゴシックはポルトガルで独自の変化をとげ、マヌエル様式(manuelin)と呼ばれるようになった。フランボワイヤン様式の装飾のモチーフが一般的に燃え盛る炎なのに対して、マヌエル様式の装飾のモチーフは大航海時代を象徴する海だ。珊瑚やロープなどが柱に巻きつき、舵やいかりが天井を飾っている。魚や貝が回廊を泳ぎ、アフリカ・アジアの珍しい動物もいたるところに隠れている。驚くべきことにモチーフの繰り返しはほとんど見られない。大航海時代の局所的な文化と建築様式の流れが見事に融合している。
バターリャ修道院は仕上げに石灰岩が使われている。石は時間がたってクリーム色になり、昼間の強い太陽の光に照らされた回廊は石灰岩の質感も手伝ってまるでサクサクとしたバター・クッキーでできているみたいに見える。
バターの香りが漂ってきそうな装飾を一つ一つ眺めていくのもマヌエル様式の楽しみ方の一つだ。たまに柱の足元なんかであまり旨そうじゃないどこか間の抜けた顔を見つけたりするけど、それはそれで楽しい。

20080629

王様のレストラン 右巻き 左巻き


カタツムリの美味しい季節がやってきた。じりじりと照りつける陽射しの中、食堂の店先には直径1~2センチメートルくらいのカタツムリがぎっしり詰まった網が吊るされている。エスカルゴみたいにごろりと大きいものではないけれど、僕はビールを飲みながら皿の上に山盛りにされたカタツムリたちをつまようじでちまちま食べるのが気に入っている。一回に平均で30個くらいは食べてるんじゃないだろうか。

ある日僕はコーディネーターのフランシシュコにカタツムリの食べ方を教えてもらった。彼は王様のレストランの松本幸四郎みたいに旨いものの一番旨い食べ方を知っているのだ。
「ユウスケ、いいか、カラコイシュ(カタツムリ)の一番旨い食べ方はこうだ。
まずはゆっくり一日お気に入りのビーチで過ごすんだ。夕食時になって十分に腹が減ったらビーチを出てお気に入りのレストランへ向かう。もちろんいいカラコイシュを出す店だ。そこでビールと一緒に食べるカラコイシュが一番旨いんだ。」
僕はギャルソン・フランシシュコに言われたとおりに週末をシキさんと近場の手頃なビーチで過ごしてから家の近所のレストランでカタツムリを食べた。一時間半の滞在ではゆっくりと過ごしたとは言えないかもしれないけれど、バターとにんにくと香草でじっくり炒められたカタツムリは右巻きのものも左巻きのものもどちらもよく味が染みていて旨かった。
丁度サッカー・ユーロ2008でスペインが優勝を決めた日で僕らも店で観戦していたのだけれど、それはまた、別のお話。

20080622

花崗岩の匂い 見本市 いぶし銀


ポルトを含めた北部の街の天気は変わりやすい。たとえ直前まで晴れていても、突然雨が降り始めたり牛乳みたいに濃い霧が辺りを包んだりすることがよく起こる。雨粒はひんやりと冷たくて、花崗岩でできた街並みに音もなく染み込んでいく。静かに雨を吸い込んで色の濃くなった花崗岩が北の街にはよく似合う。
北部の街出身の同僚ヴァシコは中々里帰りができていないせいか「ユウスケ、俺はリスボンに長くいすぎた。花崗岩の匂いが恋しいよ。」と嘆いていた。
ポルトから2時間ほど古ぼけた列車に揺られて北へ進む。ヴィーニョ・ヴェルデと造船業で栄えた街ヴィアナ・ド・カステロは、聖なる山サンタ・ルジアに見守られながら大西洋に流れ込むリマ川の河口に広がっている。
川沿いにはアルヴァロ・シザが設計したホワイト・コンクリートの図書館が建っている。隣の広場と役所関係の管理施設はフェルナンド・タヴォラによるものだ。現在ソウト・モウラの計画も進行中だったりと、ヴィアナ・ド・カステロの街はポルト派建築の見本市みたいな状況になっている。そんな中リスボン派のうちのボスもユースホステルを設計している。約10年前の作品。
ボリュームの構成や中庭を回るスロープやディテールなどは今のカヒーリョに通じるものがある。ぼんやりとした曇り空の中、コールテン鋼の塀や壁面の黒いアズレージョ・タイルや中庭を覆う緑色の芝生が小雨にしっとりと濡れてぎゅっと空気を凝縮している。おそらくポルトガル国内では最も北にあるプロジェクトは少し古くなっていたけれど、リスボンではあまり見ないカヒーリョの渋さが曇った空と雨の匂いによく合っていた。いぶし銀。

20080621

町興し サルタンの象 底力


一ヶ月くらい前。ポルトの建築事務所で働いている知り合いの方に誘われて、僕はポルト近くのサンタ・マリア・ダ・フェイラという小さな小さな村で毎年開かれているイマジナリウスというお祭りに参加してきた。毎年といっても昔からの伝統的なお祭りというものではなく、どちらかというと町興しを目的としたコンテンポラリーなアート・イベントに近いかもしれない。プログラムにはアルヴァロ・シザ、ソウト・モウラといったポルトで活躍している建築家を招いた講演会や、写真家スペンサー・チュニックの展覧会なども含まれていてかなり力の入ったものになっていた。
祭りの間は村のあちらこちらで同時多発的に幻想的なパフォーマンスが繰り広げられる。銀行の前では空中にレム・コールハースみたいな男が立っていたり、郵便局の壁にはプロジェクターで映像が投影されたりと、普段暮らしている村がその日ばかりは巨大な舞台装置になる。村の教会とその前の広場は演劇のステージになっている。ロープが張られた道路の上を人が飛んだり、一般の人にまぎれた演者が突然芝居に参加したりと、客席と舞台との境目がどんどん曖昧になっていく。
時間の関係で見ることができなかったのだけれど、どうやらロワイヤル・ド・リュクス(Royal de Luxe)が昼間に大道芸をしていたらしい。彼らはフランス・ナントの劇団で「サルタンの象」という演目の大道芸を行っていることで有名だ。10メートルはあろうかという巨大な女の子と象の操り人形が街に数日間滞在して観客や通行人と絡みながら物語を繰り広げる。大道芸の後をついていくうちに自分の住んでいる街がいつのまにかおとぎの世界に変わってしまうという仕掛けになっている。彼らは世界中色々な場所でパフォーマンスをしていて、今回ポルトガルではどんな演目を披露したのかは分からないけれど是非見てみたかった。
ヨーロッパではこんな風に街を「使った」パフォーマンスや祭が昔から広く認知されている。都市的なお祭りとでもいうのだろうか。都市的といっても街の規模はあまり関係ない。今回訪れたサンタ・マリア・ダ・フェイラみたいな本当に小さな村でもこんなにクオリティの高いイベントが行われていることに僕はポルトガルの底力を感じた。

20080616

人工地盤 傑作 ジョーク 


リスボンのべレンにある宮殿パラシオ・デ・ベレンの増築計画は、21世紀に入ってからの事務所の代表的なプロジェクトの一つだ。中にはポルトガル大統領府のためのアーカイブ・センターが入っている。
その特殊なプログラムのため、残念ながら一般公開はされていない。見学のためには事務所に連絡を取って予約をしてもらうことが必要になる。周りからの評判も良く、前々から是非見てみたいと思っていたので、僕は事務所の同僚と日本人の知り合いを集めてエレクタから出版されているカヒーリョ・ダ・グラーサ作品集の表紙の建物を訪れてきた。
広大な面積を要求する増築計画の敷地になったのはかつて宮殿の裏庭だった場所だ。カヒーリョは人工地盤によって「庭を持ち上げる」ことで、その下に建築を納めるという解法を取った。一階に当たる増築部分へは地下に潜っていくようにして入っていく。カフェテリアだけが二階にあり、白く細長いボリュームが人工地盤から飛び出している。国際コンペで一等を取ったこのプロジェクトの肝はこの構成にある。

順番にパスポート・チェックを受け、金属探知機をくぐって敷地内に入る。最初に案内された庭、つまり屋上には全面に瑞々しい西洋芝が生えていて、人工地盤から飛び出したカフェテリア棟の純白の壁と非現実的な美しいコントラストを作っている。芝生は積もったばかりの雪の上を歩いているみたいに少し罪悪感を覚えるほどふかふかと柔らかく、壁はここがポルトガルであることを忘れてしまうほど丁寧に手入れされて竣工時の白さを保っている。芝生の上を宮殿内で放し飼いにされている孔雀がゆっくりと歩いていた。
内部に潜っていくと、片面だけ鮮やかな黄緑色に塗られた廊下の壁を舐めるようにトップライトが落ちている。黄緑色を吸い込んだ柔らかい光が空間全体を満たしていた。

コンセプトからディテールに至るまで、事務所の技巧が全て詰まった傑作。いつもひょうひょうとしていて、理解するのに10秒くらいかかるジョークを飛ばすうちのボスの本気を見た。必見。

20080614

キンタ・ダ・マラゲイラ ブーゲンビリア 庶民の知恵


まぶしい朝日に向かってリスボンからバスで東へ二時間ほど進んでいくと、アレンテージョの中心都市エヴォラの街をすっぽりと取り囲んでいる城壁が見えてくる。ローマ帝国が築いたこの壁の中には、ローマ時代の神殿やイスラム様式の建物、キリスト教の教会建築などがサラダ・ボウルの中みたいにごちゃ混ぜになって混沌として美しい街並みをつくっている。

建築家アルヴァロ・シザの計画した住宅開発地区キンタ・ダ・マラゲイラは、そんなエヴォラの城壁の外側の丘陵地に東京ドーム5.7個分の面積で広がっている。
バスターミナルから徒歩で10分ほど城壁と反対方向に歩くと、白い建築の街が現れる。正確には建築とも街ともいえないと思うのだけれど、その白い塊は確かに建築であり街だった。大部分は住宅だけれど、レストランや商業施設や公共施設なんかも入っている。とにかく広いその塊の内部に入り込んでいくと、そこはどこか外から切り離された別世界のようだった。
住宅の外壁は一体になって繋がっているのでひとつの巨大な建築のように見えるし、同時に各住宅の窓やドア、そして煙突の繰り返しが身体的なスケールとリズムをつくっている。各住戸に水や電気を供給しているコンクリート・ブロック製のダクトが白で統一された世界にアクセントを与えている。
面白いのは、街区の中に入るとどこか非日常を感じるのだけれど、街区の外から見ると驚くほど風景となじんでいるということだ。隣に接している既存の街区との境界もよく分からない。この建築には外観という概念が無いのかもしれない。この風景との一体感は素材と仕上げが作り出しているものだ。白い砂糖菓子みたいなスタッコの外壁は、この地方や南のアルガルヴェでは良く見ることのできる伝統的な仕上げで、土着の文化と地続きになっている。これらの住宅は、伝統的な民家の形態を洗練させてできたものなのだ。
シザの建築は写真で見るとどれも同じように白いけれど、実際に現地で直に見てみるとスタッコの白、大理石の白、ホワイトコンクリートの白、塗料の白といったように一つとして同じ白が存在しないことに驚かされる。モダニズムを象徴する意味上の白と、土着の技術に根付いた物質としての白を同時に使いこなしている。
慣れ親しんだ民家のように、住民たちは上手にこの街を住みこなしている。建具を取替えてしまった家、黄色い塗料で開口部を縁取っている家、中庭をバラ園にしている家。どの家も個性的で生き生きとしている。僕は買い物から帰ってきた鮮やかなブーゲンビリアの花を育てている家に住んでいるおばちゃんに声をかけられた。いかにもポルトガルの働くおかあちゃんといった雰囲気の彼女はもうすぐ2階部分を増築するつもりらしい。少し話しただけでも、いかにそれぞれ自分の家を気に入っているのかがよく分かる。唯一の問題点は駐車場がなくてみんな家の前に車を留めなくてはいけないことなのだそうだ。
その後彼女に教えてもらったレストランで僕はミーガシュ(1)を食べた。とても旨かったのだけれど量がことさらに多くて、僕はしばらくの間ずっしりと重くなった胃袋を抱えてエヴォラの街を見て周ることになった。

(1) Migas :パンに肉汁の味を染み込ませてオジヤ状にしたアレンテージョ地方の郷土料理。決して豊かでなかったこの地方で、めったにない貴重な肉を存分に味わうために考え出された庶民の知恵。

20080613

祭 鰯 いわし


毎年6月13日は街の守護聖人サント・アントニオを讃えるために祭りが開かれ、その日はポルトガルでもリスボンだけが休日になる。12日の夜には前夜祭が開かれて、街は明け方近くまで文字通り大騒ぎし続ける。この老若男女を問わない大騒ぎがこの祭りのピークともいえる。
「リスボンにこんなに人が住んでいたのか」と思わせる程の人が日本の通勤ラッシュみたいに道を埋め尽くす。横丁にはテーブルがはみ出してきてもはや道なのか食堂なのか区別がつかない。街に無数にある階段はこの夜ばかりは椅子になりベッドになる。ベランダにターンテーブルとスピーカーを出してくれば、窓の下は即興でダンスフロアーになる。体が自然とリズムを刻み始め、街全体が音楽と歌と踊りで溢れていく。
祭りの間は、鰯を食べ赤ワインを飲むのが慣わしになっている。この祭りがいわし祭りと呼ばれる所以だ。路上の至る所で人々が汗だくになりながら鰯を炭火で焼いている。僕は鰯を丸ごと一尾パンに挟んでいわしバーガーを作り、ピリ辛いスパイスをかけて丸ごと頭から食べ、プラスチック・カップに注がれたビールを飲んだ。脂ののった鰯の焼ける香ばしい匂いと白い煙が、Tシャツと石造りの街並みに染み込んでいった。
リスボンっ子達は声をそろえて「Cheira Bem, cheira a Lisboa(いい匂い!リスボンの匂い!)」と歌う。匂いも味も音も靴底にあたる石畳の感触も、五感全てを使ってリスボンを堪能した夜だった。

20080609

友人 コーヒー 嘘


リスボンで暮らし始めて、とにかく僕はコーヒーをよく飲むようになった。
ポルトガルでコーヒーと言えばエスプレッソのことだ。イタリアのエスプレッソより少し薄くて、フランスのエスプレッソより少し濃い。そんなポルトガルのエスプレッソを僕は大体一日に二杯は飲んでいる。出勤して働き始める直前に砂糖をたっぷり入れた目覚めの一杯を飲む。昼食から帰ってきてやっぱり働き始める直前に口直しの一杯を今度は砂糖少なめで飲む。夕食を外で済ませてしまった日にはもう一杯飲むこともある。
ポルトガル人が自信を持って勧めてくるだけあって、とにかく旨い。風味は濃厚で口に含むと香りが鼻から抜けていき、コクのある苦味と砂糖の甘みが広がっていく。砂糖の量は好みにも寄るのだけれど、ほとんどの人が袋一つ(8~9グラム)を全て入れてしまう。砂糖をたっぷりと入れた濃厚なエスプレッソは極上のチョコレートにも例えられる。特に旨いレストランで旨い食事の後に飲むエスプレッソはなかなかに至高の一時を与えてくれる。
豆は多くの場合ロブスト種とアラビコ種の2種類が使われている。「robustoが輪郭(body)をつくって、arabicoが風味(flavor)を加えるんだ」と友人のヌノは教えてくれた。実際は皆豆にはそれほどこだわっていないと思うけれど。
僕の中でのコーヒー観はこの短い期間に全く変わってしまったと言っていい。簡単に言うと、エスプレッソとドリップ・コーヒーは違う飲み物なのだ。エスプレッソは濃いドリップ・コーヒーではないし、逆にドリップ・コーヒーは薄いエスプレッソではないということだ。ちなみに本当にエスプレッソをお湯で薄めて作るコーヒーをこちらではカフェ・アメリカーノという。
そういえば近々「スターバックス・カフェ」がリスボンに進出するという嘘みたいな噂がある。慣れ親しんだエスプレッソとの共存が危ぶまれているけれど、甘いものと新しいものに目が無いポルトガルの人たちのことだから意外とすんなりと受け入れてしまうかもしれない。

20080605

松本大洋 ユニクロ チーム


事務所の良心ゴンサロが5月に取った休暇中にニューヨークで買ってきたのは沢山の建築本と一枚のTシャツだった。
「柄が気に入ったんだ」そういいながら見せてくれた松本大洋の漫画「竹光侍」が前面にプリントされたねずみ色のTシャツは、偶然にも僕がポルトガルに来る前に明治通り沿いのユニクロで購入したTシャツの色違いだった。僕のは淡い桜色。
ときどき同じ日に2人同じTシャツを着ていってしまうことがあるのだけれど、そんな時僕らはチームを組む。名前はまだない。ゴンサロはこの新しいTシャツが気に入っているらしく結構な頻度で着てきているので、これからもリスボンではこのチームが一緒に昼食を食べている姿を目撃することができるだろう。

20080604

聖地 目玉 ガスコンロ


ポルトガルの形を面長な男性の横顔に見立てるとするなら、聖地ファティマはちょうど目玉のあたりに位置している。リスボンからはバスで1時間半もあれば到着する。そのリスボンはだいたい鼻の穴あたりにある。素敵なビーチに行きたければ口ひげの周りがおすすめだ。
1917年に起きた聖母出現の奇跡は、実に10万人の目の前で起きてヨーロッパ中にファティマの名前を知らしめた。奇跡から100年と経っていないファティマは聖地としてはまだ若いけれど、奇跡の現場でマリア像が祀られている出現の礼拝堂は巡礼者で溢れかえっていた。巡礼者たちは神父の説教を涙を流しながら聞いている。礼拝堂の外を祈りながらひざまずいてゆっくりと周っている人もいる。
中心地には町で最も古いネオクラシック様式のバジリカと、ギリシャの建築家アレクサンドロス・トンバージス設計の町で最も新しいサンティッシマ・トリンダーデ教会が向かい合って建っている。間に挟まれた広場はスノーボードのハーフ・パイプコースみたいに弧を描いて真ん中がへこんでいて、毎年5月と10月に開かれる大祭には10万の巡礼者をしっかりと受けとめる。
新しい教会はガスコンロのつまみみたいに、正円のボリュームに2枚の壁が刺さったような平面をしている。2枚の壁は二つの教会を結ぶ軸線の上にあって、壁に挟まれた教会の入り口からは向かいに建つバジリカしか見えない。極端に単純な形と極端に強調された軸線が実に上手く機能している。他にも扉のデザインや巨大な十字架のモニュメントなど、いろんな形でアーティストや建築家がこの教会に参加している。建築家アルヴァロ・シザがこの教会のためにデザインしたタイルには一見の価値がある。
新しい聖地の、新しい教会は、それより少しだけ古い教会に負けない存在感を持っていた。

20080602

カウント・ダウン 田んぼ 乱暴


事務所の最新作の一つ「Escola Superior de Musica de Lisboa(リスボン高等音楽学校)」はホームページ上で秒単位のカウント・ダウンをするくらい竣工日が迫ってきている(後2週間)。少し前から僕はこのコンセルヴァトワールの避難経路図を描いている。
いくつか不明な点があるのでプロジェクト担当者のスザンナに相談していると、「見に行った方が早いわね」という話になり、急遽現場へ行くことに。折角だからと他のスタッフも数人誘って、仕事なのだけれどもはや見学会。
見上げた外観は思ったよりもかなり巨大だ。音楽学校というだけあって、控え室や練習室、ホールやホワイエ、天井の高さもさまざまなボリュームが沢山入っている。下手すれば全体としての印象がぼんやりと散漫になりそうなところを、スケール・アウトした巨大な中庭の強いイメージが全体にまとまりを与えている。
中庭を囲むコンクリートの壁は、思わず目を細めてしまいそうな程鮮やかな黄色に塗られていて、青い空とスウェーデン・カラーのコントラストを作っている。黄色い壁は太陽の光を反射してガラス越しに中の白い壁をを淡く染めている。さらに中庭から伸びている階段を登っていくと、黄色と青い空との間に一面草で覆われた田舎の田んぼみたいな緑色の平面が現れる。
時々仕事もしながら小走りで一通り見て周って、僕は一つ一つの空間それぞれにどこか思い切りの良さを感じていた。少なくとも、中途半端で作り手の迷いを感じる場所はない。
それにしてもこの中庭の空間は少し乱暴に感じるくらい攻撃的に黄色い。味付けの濃い料理を食べているみたいだ。わかりやすくて後を引いてクセになるけれど、深さとか繊細さとかに欠けると言おうか。もしくは大味すぎて素材の旨みが隠れてしまっていると言おうか。
まあ好き嫌いの話だけれど、僕はそんな味付けの濃い料理が決して嫌いじゃない。

20080601

ザッピング ブラウン管 カジュアル・ファッション


日曜日の夜のこと。僕はシキさんと台所で昼間に作ったカレーを温め直して食べながら四つしかないテレビのチャンネルをザッピングしていた。
RTPという放送局で建築家ル・コルビュジェに関する番組を放送していたのでしばらくそのまま流していると、これまでにも何度か見たことのある「Câmara clara」だと分かる。毎回違うテーマに沿って女性司会者パウラ・モウラが2人のゲストを招いて鼎談する人気番組で、真っ赤なカーテンを背景にして繰り広げられる討論には、ポルトガル語があまり分からなくても惹きつけられるものがある。
今夜のテーマは、最近リスボンで展覧会も始まったル・コルビュジェについて。カメラがテーブルを囲む三人を捉える。僕が思わず「あっ」とすっとんきょうな声をあげてしまったのは、そのうちの一人が見覚えのある服を着て見覚えのある後姿をしていたからだった。
日曜日から彼の顔を見るとは思わなかったけれど、僕らが見始めたのは番組の終わりの方で、ブラウン管が映したカジュアル・ファッションの建築家カヒーリョ・ダ・グラーサはもう一人のゲストで女性建築批評家のアナ・トシュトイシュの止まらないマシンガン・トークに終始押され気味の様子だった。