20080522

セトゥーバル ルバート パラノイア


ポルトガル有数の工業都市セトゥーバルには、リスボンから車を走らせること40分程で到着する。セトゥーバルからやや外れた敷地に、アルヴァロ・シザ・ヴィエイラ設計の教員養成学校は建っている。
僕は同僚のヌノと一緒に、事務所からもらった休暇を使ってこのポルトガルの先生の卵のための学校を訪れてきた。学校建築全般を見学するときに共通していることだけれど、内部空間を見たいと思ったら土日祝日を避けて平日に来るしかない。シザは他にも、学校建築としてアヴェイロ大学に図書館と給水塔を、スペインのサンティアゴ・デ・コンポステラにサンティアゴ大学情報科学学部の学部棟を設計している。
セトゥーバル教員養成学校は、大小2つの庭が背中合わせに配置されたH型の平面をしている。両ウィングをつないでいる部分がエントランス兼2層吹き抜けのアトリウムとなっている。全体としては、両側面のウィングから更に体育館などのヴォリュームがぽこぽこと付け加えられたような構成になっている。
この建築の見所の一つは芝生で覆われた大きい庭とそれを取り囲む建物の造作にある。
大きい庭を囲んでいる列柱は、実は断面がそれぞれ異なる4種類の柱(それぞれ、四角、丸、木の葉を半分に切った形、それを反転したもの)が組み合わされて並んでいる。またそれらが支える連続した屋根は、建物の端まで来たところで急に高さが変わっている。その部分がこの建物の例外であるような印象を与えている。

ここでは大きく分けて2種類の「時間に伴う印象の変化」を感じることができる。
一つ目。遠くから見ると要素の繰り返しとしての列柱がリズムを作り出しているが、近づいていくと徐々にそれぞれ形の違う柱の周りの空間がそれぞれ異なる印象を持ち始める。それは連続的な体験として感じることができる。
二つ目。一枚の屋根が等間隔で柱に支えられている。それを目で追っていくといきなり屋根が落ち、柱は斜めなってその部分を受け止める。この非連続性が、意識の残像を生み出す。それは音楽で一定のテンポを急に崩す、ルバートの技術と似ている。
徐々に変化していく印象と、いきなり変わる印象。実は他にも沢山の場所でこの2種類の印象の移り変わりを見ることができたのだけれど、とても書ききれない。一つ分かったことは、シザの建築では少しの操作で大きな効果を得ることができているということ。それは地となる部分で一定のリズムやテンポを作り出すデザインが多く見られるということだ。それこそパラノイア気味なほどに。そういったことは目地などの納め方や素材の使い方に顕著に現れている。

歩き回ってあまりに腹が減ったので、学食で学食並みのフランゴ・ア・ブラシュ(1)とデザートのレイテ・クレメ(2)をかき込んで、僕らはその場を後にした。

(1)Frango à Brás: 鶏肉とタマネギを炒め、千切りのフライドポテトを合わせて卵でとじたもの。鶏肉のかわりにバカリャウを使ったバカリャウ・ア・ブラシュもある。
(2)Leite Creme: いわゆるクリーム・ブリュレ。本格的なところだと最後にバーナーで焼き目をつける。

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